どうも。コンカズ (@konkazuk) と申します。
今回の記事では、ドイツ出身の政治哲学者であり、政治思想史の専門家 ヤン=ヴェルナー・ミュラーさんによる著書 ‘What is Populism?’ を紹介していきます。

“Populism” という言葉を個人的に初めて聞いたのは、確かブレクジットが起こった頃。
当時、右派の権力者たちは、緊縮政策などで労働者から富を吸い上げたあと、選挙で票を得るために、移民問題を持ち込むことで労働者階級を分断し、「私たちはあなたの味方ですよ」と言って一部を丸め込む。そんなナイジェル・ファラージのような手法を、僕は「ポピュリズム」だと理解していました。
しかしながら2025年、労働党まで右寄りになってしまった現在、労働者の利益のために左側にいるのは、もう事実上 Green Party しかいないと感じ、応援していたら、次期の党首になるために立ち上がった ザク・ポランスキーが、「私は、Eco Populist だ。」 なんて発言。
彼の言っている政策は、完全に的を射ていると思いますが、”Populist” という言葉には、僕の頭の中には悪いイメージしかない… 。
というわけで、頭の中の混乱を解決させるために、この本を購入しました。
内容は、歴史上の政治家や出来事がたくさん出てくるので少し難しく感じるところもありますが、それでも読み進めていくと、”populist” の定義がよく理解できます。
ヤン=ヴェルナー・ミュラーさんって何者?

まずは著者の紹介から。
ドイツ出身の政治思想家・政治学者の、ヤン=ヴェルナー・ミュラーさんは、現代ヨーロッパ政治思想、ポピュリズム、民主主義制度の解析において世界的に知られる学者で、 ”ガーディアン” 紙や ”ニューヨーク・タイムズ” 紙をはじめ、多数のメディアに寄稿しています。
主な著書には ‘Contesting Democracy: Political Ideas in Twentieth‑Century Europe’ や ‘Democracy Rules‘ などがあり、今回紹介する ‘What Is Populism?‘では、ポピュリズムがどのように民主主義を操作し、時に破壊的な結果を招くかが明確に説明されています。
ポピュリズムとは何か?

ニュースなどでよく耳にする言葉「ポピュリズム」ってそもそも何ぞや?
… と思って、頭の中で整理しようとしても、自分の生活に脅威を与えそうな側が「ポピュリスト」と呼ばれる一方で、それに対抗する側まで「ポピュリスト」と呼ばれていたりする。
自由主義派の人たちは、国民の感情に「外国人嫌い」を植え付けて、「外国人は出ていけ!」とナショナリズムを掲げることで、経済格差に不満を持っている国民を味方につけようとする一方で、国民の願いには意図的に応えようとせず、リベラル・テクノクラシー(技術官僚主義)による統治を押し進めようとします。
ポピュリズムは、そのような自由主義エリートによる政治が、民主主義から「国民」を遠ざけてしまっている現状に対する脅威として、また同時に、それを是正する手段としても捉えられいているようです。
結局のところ、民主主義の世界では、国のリーダーは国民の投票によって選ばれることになっているため、すべての政治家は「国民」に訴えかけようとし、できるだけ多くの市民に理解される物語を語ろうとします。
こんな状態なので、「ポピュリズム」が民主主義の「友」であると同時に「敵」としても見なされているため、私たちはその定義づけの混乱に直面してしまっているというわけです。
特に「ポピュリズム」というものの捉え方は、アメリカとヨーロッパでは正反対なのでここで説明しておきます。
▪️アメリカ
ポジティブなイメージを持っていて、「草の根運動(grassroots movement)」に象徴されるように、大企業や既得権益層に対抗する「一般市民の正義の声」、あるいは「底辺から政治に声を届けようとする運動」として理解されている。つまり、市民による「真の民主主義の実現を目指す動き」として評価されることが多い。
▪️ヨーロッパ
ネガティブなイメージが強く、自由主義派のエリートたちのやり方は「国民の怒りを利用する政治」「現実を無視して、国民から票を得るために耳障りのいいことを言う無責任な政治」として、大衆迎合(デマゴーグ)的なものと見なされている。そのため、「民主主義の劣化を引き起こす脅威」として捉えられている。
著者のヤン=ヴェルナー・ミュラーによると、ポピュリズムの核心的主張は「道徳化された反多元主義(anti-pluralism)」となります。
噛み砕いて言えば、「共通善(common good)はただひとつしか存在せず、人民はそれを理解し、望むことができる。そして、政治家や政党がそれを明確に政策として実現できる」とする考え方です。
この主張を持たない政治家は、ポピュリストとは呼べません。
ポピュリストは常に「我々こそが唯一、真の国民を代表している」と主張し、異なる意見や少数派を「本物の国民ではない」として排除する傾向があります。
こうした状況で、もしポピュリスト側の道徳観が歪んでいたり、国民が政治に無関心で「平和ボケ」しているような状態にあると、ただ怒りに任せて彼らの口車に乗ってしまい、結果的に痛い目に遭ってしまうというわけです。
悪く言えば、「ポピュリズム」とは、民主主義の本質である多様性や競争を否定し、民主主義の内部からそれを壊しかねない存在だと言うこともできます。
ポピュリストはどのように統治するのか?

現在、世界中で多くの人々が民主主義を信じられなくなっているように思われます。
しかし、それは民主主義そのものを嫌いになったからではなく、むしろ「新自由主義(=消費社会による競争)」に染まった民主主義が、自分たちの味方ではないと感じているからです。
ポピュリスト政権は、このような覇権的な自由主義に対抗するものとして、自らを多様性や少数派の権利を擁護する立場にあるかのように見せることができます。
そして、自らの道徳観と国民の不満をうまく結びつけて、選挙で多数派の支持を集めます。
ポピュリストが政権を勝ち取ると、前に述べたように彼らは基本「反多元主義」なので、自分たちと異なる意見を持つものや少数派を排除していきます。

というわけで、ポピュリストたちはしばしばフランス革命期の急進的政治勢力であったジャコバン派の後継者と見なされています。
具体的にどんなことが起こるかというと…
① 行政権を強化する一方で、司法権を弱体化させる
自派の人間を裁判所や検察に任命して、チェック機能をマヒさせて権力を集中させます。
② 憲法を変更し、それを利用して既存の公職者を入れ替える
「腐敗した旧体制の一掃」といった名目で、国家機構を自派で占拠していきます。
③ 政党や国家機関を「自分たちのもの」として私物化する。
反対派を「非国民」「裏切り者」とレッテル貼りをしながら排除していきます。
④ 選挙の形式は維持されるが、中身は空っぽに。
選挙制度は一見民主的に見えても、メディアの支配によって、反対する人たちには嫌がらせや圧力がかかります。最終的に選挙は本当の意味で「自由で公正」ではなくなり、見かけだけの民主主義へと変わっていきます。
つまり、ポピュリストは民主的なルートで政権を取ったあと、その後は非民主的な手法で制度を破壊して、自らの支配を強化していくというわけです。
具体的なポピュリストの例

それではポピュリストの典型的な例を見ていきます。
🇺🇸 ドナルド・トランプ(アメリカ)
▫️以前は、メディアや政敵である野党は、たとえ政府に批判的でも国の民主主義にとって大事な存在として見なされていたのに、トランプが自分に都合の悪い報道をするメディアを「フェイクニュース」と呼んだり、自分に反対する政治家を「反米」と攻撃するようになったため、国民の間で「何が事実か」の共通の認識が失われていった。
▫️本来なら「能力」や「実績」で選ばれるべき公務員や裁判官のポストに、「自分に忠実な人物」だけを選び、反対意見を言う人は、たとえ優秀な人でも排除。
▫️自分が選挙で負けそうになると、「不正があった」「選挙は操作されている」と繰り返し発言したり、証拠がなくても「相手は裏でズルをしている」と印象づけたりすることで、「民主主義の土台」である選挙の信頼を壊した。
🇭🇺 ヴィクトル・オルバン (ハンガリー)
▫️以前は メディアは政府に批判的なことも言えたが、彼が権力を握ると、政府の意向に沿わない新聞・テレビは買収され、閉鎖に追い込まれた。これにより、国民は本当に起きていることを知る機会が減り、情報が偏るハメになった。
▫️裁判所は政府の介入なしに判断することができたのだが、オルバン政権が自分に近い判事を大量に任命し、都合の悪い判決は出ないようにした。これによって司法の独立が失われ、 権力を持つ人がルールをねじ曲げても裁かれにくくなった。
▫️ 政府と違う意見を持つ人や少数派は、「裏切り者」「外国の手先」などと呼ばれるようになり、社会の分断が深まった。
▫️もともと、政権が交代すれば、ルールや制度も中立に戻る仕組みがあったのだが、憲法や選挙制度が変えられ、「政権交代が極めて起きにくい構造」になった。
🇵🇱 ヤロスワフ・カチンスキ (ポーランド)
▫️以前は、裁判所が政府の影響を受けずに判断することができたが、カチンスキが率いた PiS(法と正義)党が憲法裁判所などに自派の判事を任命し、法のルールを自分たちに都合よく変えられるようになった。
▫️もともと公共放送は比較的中立だったのに、カチンスキが権力を握って以来、公共テレビやラジオはPiSの主張を一方的に流すようになったため、野党や反対意見が国民に届きにくくなった。
▫️すべての市民に一定の権利があったはずが、 LGBTの人々や移民を「ポーランド文化を脅かす存在」と政府が公言し、国を分断した。(LGBTQ+ や移民への差別が公然と語られるようになった)
🇹🇷 レジェップ・エルドアン (トルコ)
▫️もともとは議会制民主主義で、権力分立が機能していたが、エルドアンが国民投票で大統領権限を強化し、実質的に一人で決定できる体制にしてしまった。
▫️以前は、政府に批判的な言論も認められていたのだが、「テロとの戦い」の名目で、政権批判者が次々と拘束、または排除された。(→ 言論の自由が消滅に向かう)
▫️少数民族への一定の政治的配慮があったのに、クルド系政党や地方首長が逮捕されるなど、政府に従わない地域や民族は「反国家勢力」として扱われるようになった。
🇻🇪 ウゴ・チャベス(ベネズエラ)
▫️民主制度が存在していたが、チャベスが憲法を書き換え、裁判官・軍・行政を「忠誠」で固めた。(→ 国家=チャベスになった)
▫️以前は、野党や独立メディアが活動できたのに、野党の資金源や放送局が次々と潰され、政権批判が困難な社会となり、多様な意見が国から消えていった。
▫️もともと限定的ではあったものの、貧困層への支援は存在していた。そこにチャベスは、自分への支持を得るために、国家主導の福祉拡大を掲げて貧困層に手厚い社会保障を約束。ところが石油頼みの経済運営だったので、価格が下がると一気に国が破綻してしまった。
🇳🇱 ヘルト・ウィルダース(オランダ)
▫️もともと多文化主義に対する一定の尊重があったが、ウィルダースは「反イスラム」を掲げ、移民を「オランダの敵」とする発言を繰り返し、国民同士の対立を煽った。
▫️言論の自由が、以前は比較的安定していたのだが、自分への批判を「エリートの偏見」として攻撃し、メディア不信を煽り、国民が感情的な物語に流されやすくなった。
*彼は政権を正式に取っていないが、ポピュリストとして社会への影響力は大。
以上のように、これらの例を見てもらえば、かなりの共通点があることが理解できると思います。
ポピュリズムには、どう対応したらいい?

本の後半に行き着くと、民主主義とポピュリズムの主な違いが見えてきます。
民主主義というのは、多数決で代表者を選び、その代表が取る行動が、必ずしも市民の多数が望んだものと一致するとは限らない、ということを前提としています。
一方でポピュリズムは、「国民がそう望んだからだ」という理由で、ポピュリスト政権のどんな行動も疑問視してはならない、と訴えます。
じゃあ、民主主義を守るために何ができるか?ってことになってくると思うので、本の内容からここにまとめておきます。
🔹 明確に距離を取り、民主主義の原則を守る立場から反論する
ポピュリストが差別的、または挑発的な発言をした時に、「まともに相手にする価値がない」と無視すると、被害者のふりをする材料にされる。
「移民が多すぎる!」と主張した時に、他の政党が「それも一理ある」と少し譲歩すると、「自分たちの言っていたことが正しかった」と見なされる。
👉… よって、無視したり、中途半端に受け入れることはNG。
🔹話し合いで分かり合えるという前提を捨てる
ポピュリストは、自分たちの支持者だけを「国民」と考えているため、反対する人たちを「裏切り者」「非国民」「エリート」「外国の手先」などと呼んで国民扱いしない。
民主的な議論は、「相手の意見にも一理ある」という前提が必要ですが、ポピュリストは自分たち以外を正当な存在と認めないため、最初から反対意見に耳を傾ける気がない。
👉 ポピュリストに対しては「話し合いで分かり合える」という前提を捨てて、別のやり方が必要。
🔹民主主義の制度を守る
民主主義では、たとえ選挙で多数を取っても、少数派の意見や権利も守るという前提があるのに対して、ポピュリストは「自分たち=国民全体」だと主張し、選挙で勝ったから何でもできる思っている。
「反多元主義」であるポピュリストは、「反対派は敵」「異論は許されない」と主張するが、どんな政府も常に批判されるべき存在であり、異なる意見があるのが民主主義のはず。
👉 怒りや感情で対応せずに、ルールと手続きを尊重し続けて制度を壊されないように徹底的に守ることが大事。
🔹「批判だけ」ではダメ!
不満を抱えた市民は、「誰が悪いか」より「どうすれば良くなるか」が知りたいわけだから、ポピュリストを批判したところで、「対案」がないと、人々はポピュリストの方に希望を見出してしまう。
👉 人々の不安や怒りを真剣に聞く姿勢を見せて、ポピュリストよりも魅力的なビジョンを提示しなくてはならない。
🔹「国民」という言葉を奪い返す
ポピュリストは「国民=自分たち」と定義しようとするが、現実の国民は、考え方・立場・生活環境がそれぞれ違う。
「国民=ポピュリストの支持者」になってしまうと、反対意見が言いづらくなる社会になる。
👉 民主主義の目的は、多くの声を調整し共に生きていくところにあるわけだから、国民は一つの声ではなく、少数派・貧困層・移民・若者・高齢者すべての声を「国民の声」として扱って政治に反映させていく。
ザク・ポランスキーの「エコ・ポピュリズム」

ここで、冒頭で述べた、ザク・ポランスキー(グリーン党副党首)が掲げる「エコ・ポピュリズム」の話に戻りますが、言うなればこれは環境政策とポピュリズム的戦略を組み合わせたビジョン。
現在、気候変動によって人類の存続そのものが脅かされています。これは一部の人間の問題ではなく、人類全体の問題です。
それにもかかわらず、いまだに一部の人々は自分たちの利益のために化石燃料の採掘をやめず、国民を「肉中毒」にさせたまま森林伐採を続けています。こうした行動を止めるために、「ポピュリズム」という概念を逆手に取り、「国民」というアイデンティティを環境への共感と結びつけてマスムーブメントを起こすという発想は、非常に賢いアイデアだと思います。
気候危機の現実に目を向けず、地球の未来を危険にさらすような行為をする人たちは、もはや「国民」とは呼べない——そう考えるのは、人間としてごく自然な感覚です。だからこそ、このエコ・ポピュリズムの持つ「反多元主義的」な側面は、間違いとは言えません。
そしてもしこのムーブメントによって、たまたま勝者になった一部の人たちが、他者の痛みを想像する力を失ってしまったような今の格差社会を打ち壊せるのであれば、それはとても素晴らしいことだと思います。
以上、今回はヤン=ヴェルナー・ミュラーさんによる著書 “What is Populism?” についてでした。
それではまた。
コンカズ
*この記事の英語ヴァージョンはこちらから
👉 What Is Populism? A Simple Guide Based on Jan-Werner Müller’s Book