どうも。コンカズ (@konkazuk) と申します。
今回紹介するのは、作家で環境活動家でもあったナイジェリアの英雄ケン・サロ=ウィワさんに関する書籍『SILENCE WOULD BE TREASON』(邦題をつけるとしたら「黙っているのは裏切りも同然だ!」)です。

彼の地元であるオゴニ族の人々が暮らす地域の環境と人権を守るために、シェル石油と命がけで闘ったサロ=ウィワさんの遺した手紙や詩が収められています。
私たちが当たり前に享受している消費社会の暮らしの裏で、他の国では何が起きているのか? それを知るためにも、彼の存在はもっと多くの人に知られるべきだと思います。
「あとがき」

個人的に「あとがき」の部分が印象に残っているので、そこから入らせていただきます。
この本を最後まで読んで、主人公であるサロ=ウィワさんが処刑され、彼のメッセージが世界に届くのかと思いきや、物語は決してハッピーエンドではありませんでした。
サロ=ウィワさんと彼の仲間たちは命を犠牲にしてまで石油会社に立ち向かいましたが、残念ながら、問題は彼らの死後30年近く経った現在も解決されていません。
彼らが活動を繰り広げたナイジェリア南部のデルタ地帯(川が海に流れ込む河口付近の地形)にあるオゴニ族が暮らす地域では、オイルの流出はいまだに止まっておらず、そこで暮らす住民たちは、汚染された土壌で育った作物を食べ、汚染された水で育った魚を食べ、さらにオイルに汚染された井戸水を飲んで生活しています。
その結果、多くの人が深刻な健康被害に苦しんでいます。
大英帝国の時代からこの地域で活動してきたシェル石油は、パイプラインを使って毎日とてつもない量の石油を発掘しています。しかし、長年使用されて古くなったそのパイプラインは、石油が漏れ放題になってしまっているのにも関わらず、シェルはそれを解決しようともしません。
人権を無視し、会社の利益を優先するこの姿勢は、巨額の富を持つ企業による典型的な傲慢さの表れといえます。
獄中での手紙のやりとり

さて、この『SILENCE WOULD BE TREASON』は、サロ=ウィワさんが獄中でマジェラさん宛に書いた手紙の選集とも言えます。
マジェラさんは、アイルランド出身のローマ・カトリックの修道女で、長年ナイジェリアで社会正義や環境問題に取り組んできた人物でもあり、彼女がサロ=ウィワさんの死後も手紙を保管してきたことで、この本の出版が実現しました。
つまり、世界に彼の声を届けようと努力した、数少ない人物の一人です。
サロ=ウィワさんの手紙に関してですが、その中身はただの連絡や報告ではなく、獄中で過ごす彼の心情、家族や仲間への思い、自信が持っている政治哲学と信念、法の不正への怒りなどが詰まっています。
ここで、つまみ食い的なものとなりますが、個人的に印象に残った部分をいくつかフィーチャーしておきます。
🔹I’m not worried for myself. When I undertook to confront Shell & the Nigerian establishment, I signed my death warrant, so to speak. (年月不明)
この時、サロ=ウィワさんは52歳。武装した2人のガードに24時間見張られて、ニュースやラジオ、本を読むことも許されていない状態。すでに死を覚悟しているのがうかがえます。
🔹Freedom can be quite expensive or cheap depending on how you look at it. To those who have freedom, it’s cheap; those of us who lack it, pay a lot to get just a bit. (1994年10月1日)
MOSOP (Movement for the Survival of the Ogoni People) の委員会のメンバーのほとんどは牢屋にブチこまれているか、警察からの逮捕状が出ている状態。
そしてオゴニ族の人々は、仕事先からの給料がストップされ、貯金を切り崩しながら何とか生活を続けている。上は、そんな時期に彼が送った手紙の内容の一部。
この時期のあなたはどこで何をしていましたか?
🔹This may not sound very nice, and most people around me do not want to hear it (so don’t tell Hauwa), but I have assumed for quite some time that death cannot be very far away from me. (1994年10月29日)
彼が処刑される約1年ぐらい前の手紙の内容の一部。
もし自由の身であったならこういうスピーチをしたい、オゴニ族の若い人たちをトレーニングしなくては… という思考の中で、自らの信念や政治的・倫理的メッセージを語ると同時に、自身の死が近づいているのを感じ取っているのが分かります。
🔹I thought that I’d remain in captivity until God should have used that fact to make the Ognoi cause better known and pave the way for solving some of the many problems which confront the Ognoi people and similar groups in Nigeria, if not the African continent. (1995年3月21日)
彼を含むオゴニ族のリーダー9名が、拘束されたまま不透明な法的手続きが進行していて、国際社会からも強い批判が高まっていた時期。
この手紙の中では、自分が拘束されていることがむしろ国際社会の関心を集め、オゴニの問題を広めるのに良い機会になるだろうと言っています。
🔹No, one cannot allow the fear of death to dent one’s belief and actions. (1995年6月19日)
死刑判決の可能性がかなりの確率で濃厚になっていた時期、上の言葉は、まさに彼のの不屈の精神を表しています。
最後に

この本を読んで僕が痛感したのは、私たちの「幸せ」や「便利な暮らし」は、どこか別の国の犠牲の上に成り立っているという事実です。それにもかかわらず、私たちは日々、当たり前のように不満をこぼしながら暮らしています。
私たちは、普段の生活で、自分が持っているモノがどこから来たのか、いちいち考えることはほとんどないので、自分がどれほど恵まれた立場にいるかに気づいていません。
結局のところ、人の運命は「どこで生まれたか」によって大きく左右され、欲に満ちた大きな力と闘っている人々の正義が私たちに届くかどうかは、その力の恩恵を受けている私たちが、真実に目を向けようとするか、それとも自分に害が及ぶまで、罪悪感を感じつつも無視をキメこむかにかかっている、と思いました。
最後にケン・サロ=ウィワさんに関する映像を見つけたので、ここに載せておきます。
それではまた。
コンカズ
*この記事の英語ヴァージョンはこちらから
👉 Ken Saro-Wiwa: Key Lessons from Silence Would Be Treason — Book Summary & Review