Life in the UK

イーストロンドン / ハックニーの治安 & 都市開発


こんにちは。コンカズ (@konkazuk) と申します。

初ブログということで、はじめに少しだけ自己紹介させていただきます。

当方英国に渡ってきてから21年半ほど。(2021年1月現在)

前半は主にバンド活動中心の毎日を過ごしてきましたが、想定外の指の大ケガをきっかけに、途中で方向転換せざるを得ない状態に…

とりあえずは低収入だけどフルタイムの仕事についた後に結婚。


現在は、陶芸アーティストのカミさんのサポートと二人の子供たちの将来を考えつつ、音楽関係の情報以外何も収集してこなかった結果、とてつもなく時代遅れになってしまった脳ミソと、現在の身の回りの状況を改善するために日々勉強中です。

image by athree23

とまぁ、こんな感じですが、ブログを書くことを通して自己満足の人間から、何か人のために貢献できる人間に成長できたらいいなと思いつつ、自分のケツに蹴りを入れる毎日を送っています。

とりあえずは、英語学習において役立つ情報をメインに、日本語ヴァージョンと英語ヴァージョンとの両方で書いていこうと思っているので、みなさんどうぞよろしくお願いします。


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Clapton / クラプトンってどんな所?

E5 Lower Clapton Road

僕が今家族と共に暮らしている場所は、東ロンドンのハックニー自治区

 
”London Borough of Hackney


の中にある区域うちの1つで


Clapton” (クラプトン)


と呼ばれるエリア。

今でこそハックニーといえば、「クリエイティヴな若者の街」「深い絆で結ばれた地域」というイメージが定着しつつありますが、つい最近までは (特にクラプトンは)、一人で歩くには相当な覚悟が必要な、犯罪がメチャメチャ多い「超危険エリア」でした。



家のすぐ裏をはしるクラプトンロードは、別名


Murder Mile / 殺人通り

として知られ、特に90年代の終わりから2000年代初頭にかけて、若者ギャンググループ間の争いによる銃やナイフによる犯罪が日常茶飯事に繰り広げられ、一般市民を巻き込んだ死傷者が相次いでいました。

 
地元のギャング同士によるテリートリー争い

*Postcode war (ポストコード・ウォー

の危険から逃れるために、小学生たちは不便な交通手段を利用して、遠回りして学校の行き来を強いられるほどであったようです。

記憶に新しい事件としては、2011年の8月 (僕ら家族がクラプトンに移ってきてから3ヶ月後) に起こった暴動 

London Riots”。

image by Jonathan Harrison

北ロンドンのトッテナム区域で、29歳の男性が警官に射殺された事件に対して行われたプロテストは、次第に暴動へと移り変わり、ハックニーなどの東ロンドン、更にはペッカムやバタシーなどの南ロンドンにまで拡大。

そして、それらの情報をSNSなどからキャッチすると、普段から警察や政府からのプレッシャーに不満だらけの若者たちは、この出来事を真似て、マンチェスターやブリストルなど、他のいくつかの州で暴動を起こしました。

僕の住んでいる近所のクラレンスロードでは、何台もの車が燃やされ、店の商品は奪われ店内は破壊されてしまいました。


image by Andrew Donovan Valdivia


と、ここまで読むと、なんでそんな地域にわざわざ引っ越してきたの?と思われるかもしれませんが、そんなハックニーも2012年のある出来事をきっかけに急激に変化を遂げていきます。



*Postcode war (ポストコード・ウォー)とは、1990年代から存在していた、10代のギャンググループらが自分たちの領域として意識する自治区(例えばハックニーやトッテナムなどのBorough)間においてのテリートリー争いが、2000年に入ったあたりからさらにスケールダウンしたもので、1つ自治区内でのポストコード、または住宅団地などを領域単位とした争い。



👇 Postcode war に関しての映像はこちら


ロンドンライオットが起こったあたりから、政府が真剣に動き出して、この種の争いによる犯罪は減少しつつあります。

East London 都市開発と2012年ロンドンオリンピックのレガシー

さて、前の章ではハックニー、とりわけクラプトンという街が危険なエリアだったことを記載しましたが、当時まだ若かった僕たちは地域の事情などには詳しくはありません。

元々はカミさんが住んでいた Old Street (オールドストリート) の学生寮に、僕が転がり込んだのが同居の始まり。

当時のこの辺りのエリアは倉庫やボロ建物が並び立つ中で、若者たちがイベントやパーティーを開いたり、新しいパブやクラブ、ライブハウス等が出現しては消えていく、いわゆるトレンディースポット。



ところが次第にスターバックスやマクドナルドが現れ始め、マーケットなどがあった場所も新しいビルやフラットに…

そしてそれに伴い、あれよあれよと地価も上昇。



僕たちは追い出されるようなかたちで、少し北に位置するトルコ人街の

Dalston (ダルストン)

という街に移り住むことになります。


オールドストリートと比べたら、街の見た目もかなり廃れていて道路もガタガタ。

アル中や薬の売人などもウロウロしていて、明るいイメージなど少しもありません。



一度なんか、朝起きて仕事に出かけようとしたら、家の前にポリスラインが貼られていて、外に出られない状況。

image by David von Diemar

二階に戻って窓から顔を出してみると、フラットのすぐ横でポリスマンがシェパード犬を横に、ライフル銃を構え、僕らの住むフラットの裏のビルに狙いをつけている、という「勘弁してくれ」状態です。


ところが、引っ越して2、3年もしないうちに、ロンドンの情報雑誌 “タイムアウト”に

若者が集まるトレンディースポット、ダルストン!』『今、ダルストンが熱い!


などの文句が目につきはじめます。


実際にそこに住んでいる側からしたら、

「何を寝ボケたことを言ってやがんだ…」


…なんて思っているのも束の間、つぶれて板張りにされていた小さな店が、バーやナイトクラブとなって次々とオープン。

image by James Riess

毎晩のように、パーティーに集まる若者たちによって道は埋め尽くせられ始めます。




👇 Dalston の開発がわかる映像はこちら。


ぼくらも、「おぉ〜、ええところに移ってきたなぁ…」ってな感じで出歩いている間に、昼間の景色も次第に移り変わっていくことに。

古い店は立ち退き始め、道路はきれいに整備され、背の高いビルが立ち、駅ができ、チェーン店が現れ、家賃は上昇….



「アレッ、このシチュエーション… 以前にも経験したような…」

まさにデジャヴです。



結婚して子供が生まれたのを機に、さらに少し北のクラプトンに逃げ移っていくことになります。


そして翌年2012年、ロンドンでは東ロンドンの Stratford (ストラトフォード :クラプトンから自転車で東南に20分ほど) を拠点として、オリンピックが開催されます。


…と、ここまできたところで、やっといろんなことが繋がってきました。



つまり僕たちは、

イーストロンドン都市開発」の真っ只中にいた!


ということです。




ちなみにロンドンは、イギリスの中央銀行があるシティーを中心として、西側のウエストエンドと、東側のイーストエンドに区分されます。

オックスフォードストリートやハイドパーク、トラファルガースクゥエアやバッキンガム宮殿など、観光スポットもたくさんある華やかな西側とは対照的に、東ロンドンは、元々工場や倉庫などが立ち並ぶ貧民エリア。



1980年代初頭、保守党から『鉄の女』のあだ名を持つサッチャーさんが首相に就くと、イーストロンドンのテムズ川周辺の衰退した工業地エリア、

Docklands(ドックランズ)
(ちょうど川が蛇のようにくねっている辺り) 

の開発に取り掛かりますが、86年にロンドンの自治体としての機能 ”Greater London Council”を廃止してしまったため広範囲に及ばず、

Canary Wharf (カナリヲーフ)

などの一部のエリアの開発の成功にとどまってしまいます。


ところが1997年に労働党が政権を奪回 (まだまだ記憶に新しいトニー ブレア首相) すると

Greater London Authority

を設置して、ロンドンに地方自治体としての機能を復活させます。


そして市長には、元 Greater London Council のリーダーで、サッチャーさんの敵でもあった、表情が時々レッドツェッペリンのジミーペイジ似?の

ケン リヴィングストンさん (Ken Livingstone)

が選ばれます。


この人ですね、東ロンドンを開発するのに必要な巨額の投資金を政府から引き出すためにオリンピックを利用した人は!


まさに、やり手市長です。

オイスターカードを始めたのもこの人です。 


この人の放つビーム光線によって僕らは最終的にクラプトンに流れ着いたわけですね。(いやいや、治安良くなって感謝してます。とりあえずは…)


月日が経ち、保守党の単独政権になってから5年が経つ今でも語られるオリンピックレガシーは簡単にあげると以下の通り。

  • オリンピック会場エリア(今はクィーンエリザベス オリンピックパークと呼ばれている)として使われた大規模な土壌の洗浄。
  • そしてそこに建てられていた選手村の宿泊施設を低所得者向けにマイホーム化。
  • ウェストフィールド ショッピングセンター(ヨーロッパで最大)の建設。
  • 建築家、ザハ・ハディードによってデザインされた、これまたデカイ水泳会場(うちの子供達も夏はお世話になってます)。
  • そしてオリンピックスタジアムはサッカープレミアムリーグのウエストハム ユナイテッドのホームに。などなど、、、





いやぁ、なにも知らずに偶然家庭を持って落ち着いたところが、ラッキーにも同時に開発エリアだったとは。

小綺麗になってくるのはいいんだけど、あとは家賃が、、、ハハハ…

コンカズ


*この記事の英語ヴァージョンはこちらから

👉 Exploring the Changing Face of East London: Safety and Urban Development in Hackney


*そしてイーストロンドンの都市開発について書かれた本に興味のある方はこちらもぜひ…

👉 「都市開発の裏では何が起きているのか?」を英語で理解する!!! “Regeneration Songs”

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