【Hackneyとイーストロンドン都市開発】

England

Blog 001. (日本語/Japanese)   

こんにちは。

コンカズと申します。

初ブログということで、

はじめに少しだけ自己紹介させて頂きます。

当方英国に渡ってきてから

21年半ほど。(2021年1月現在)

前半は主に

バンド活動中心の

毎日を過ごしてきましたが、

想定外の指の大ケガをきっかけに

方向転換せざるを得ない状態に…

とりあえずは低収入だけど

フルタイムの仕事についた後に結婚。

現在は、

陶芸アーティストのカミさんのサポートと

二人の子供たちの将来を考えつつ、

音楽関係の情報以外

何も収集してこなかった結果

とてつもなく

時代遅れになってしまった脳ミソと

現在の身の回りの状況を改善するために

日々勉強に励んでいます。

…てな感じですかね。

とまぁ、こんな僕ですが、

ブログを書くことを通して

自己満足の人間から

なにか人のために貢献できる人間に

成長できたらいいな、

と最近は思いつつ

自分のケツに蹴りを入れています。w

とりあえずはイギリスでの

自分の身のまわりの

生活事情や、

英語学習において役立つ情報を

日本語ヴァージョンと

内容によっては英語ヴァージョンとの両方で

書いていこう

と思っているので

みなさん

どうぞよろしくお願いします。

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Clapton / クラプトンってどんな所?

さて、

僕が今家族と共に暮らしている場所は

ロンドン市内のハックニー自治区 

London Borough of Hackney

の中にある”クラプトン・Clapton”という街。

E5 Lower Clapton Road

今でこそハックニーといえば

活気のあるクリエイティヴな街

というイメージが定着しつつありますが、

ひと昔前までは

(特にクラプトンは)

一人で歩くには相当な覚悟が必要な、

犯罪がメチャメチャ多い超危険エリア。

家の近くをはしるクラプトンロードは別名

Murder Mile/ 殺人通り

として知られ、

特に90年代の終わりから

2000年代初頭にかけて、

若者ギャンググループ間の争いによる

銃やナイフによる犯罪が

日常茶飯事に繰り広げられ、

一般市民を巻き込んだ死傷者が相次いでいました。

 ハックニー区内でのギャング同士によるテリートリー争い

*ポストコードウォー (Postcode war)

の危険から逃れるために小学生たちは、

不便な交通手段を利用して、

遠回りして学校の行き来を強いられるほどであったようです。

記憶に新しい事件としては

2011年の8月 

(僕ら家族がクラプトンに移ってきてから3ヶ月後) 

に起こった暴動 

London Riots”。

北ロンドンの

トッテナム区域で、

29歳の男性が警官に射殺された事件

に対して行われたプロテストは、

次第に暴動へと移り変わって

ハックニーなどの東ロンドン、

更にはペッカムやバタシーなどの

南ロンドンにまで拡大。

そして

それらの情報を

SNSなどからキャッチすると、

普段から警察や政府からの

プレッシャーに不満だらけの若者たちは

この出来事を真似て、

マンチェスターやブリストルなど

他のいくつかの州で暴動を起こしました。

僕の住んでいる近所のクラレンスロードでは

何台もの車が燃やされ、

店の商品は奪われ

店内は破壊されてしまいました。

と、ここまで読むと

なんでそんな地域に

わざわざ引っ越してきたの?

と思われると思いますが、

そんなハックニーも

2012年のある出来事をきっかけに

急激に変化を遂げていきます。

*ポストコードウォー(Postcode war)とは、1990年代から存在していた、10代のギャンググループらが自分たちの領域として意識する自治区(例えばハックニーやトッテナムなどのBorough)間においてのテリートリー争いが、2000年に入ったあたりからさらにスケールダウンしたもので、1つ自治区内でのポストコード、または住宅団地などを領域単位とした争い。基本的には、よそ者を自分らの領域で見つけたら襲いかかって物を奪ったり、危害を加えたり、またそれに対する相手側の報復活動が行われたりするわけですが、何も知らずにそのエリアに足を踏み入れてしまったり、たまたまそこを通過するバスに乗ってしまったために一般人も命を落とす可能性が十分あるという、ロンドン, またはイギリス全体の深刻な社会問題。ロンドンライオットが起こったあたりから、政府が真剣に動き出して、この種の争いによる犯罪は減少しつつあります。

East London 都市開発と2012年ロンドンオリンピックのレガシー

さて、前の文章ではハックニー、

とりわけクラプトンという街が

危険なエリアだったことを記載しましたが、

当時まだ若かった僕たちは

地域の事情などには詳しくはありません。

元々はカミさんが住んでいた

オールドストリート・Old Street

(クラプトンよりもかなり南に下った

ロンドンの中心街のシティー近辺)

の学生寮に僕が転がり込んだのが同居の始まり。

当時のこの辺りのエリアは

倉庫やボロ建物が並び立つ中で、

若者たちがイベントやパーティーを開いたり、

新しいパブやクラブ、

ライブハウス等が

出現しては消えていく、

いわゆるトレンディースポット。

ところが次第に

スターバックスや

マクドナルドが現れ始め、

マーケットなどがあった場所も

新しいビルやフラットに…

そしてそれに伴い

あれよあれよと地価も上昇。

僕たちは追い出されるようなかたちで

少し北に位置するトルコ人街の

ダルストン(Dalston)

という街に移り住むことになりました。

オールドストリートと比べたら

かなり廃れていて道路もガタガタ。

アル中や薬の売人なども

ウロウロしていて

明るいイメージなど少しもありません。

一度なんか朝起きて

仕事に出かけようとしたら

家の前にポリスラインが貼られていて

外に出られない状況。

二階に戻って

窓から顔を出してみると、

フラットのすぐ横でポリスマンが

シェパード犬を横にライフルを構えて

裏のビルに狙いをつけているという

勘弁してくれ状態です。

ところが2、3年もしないうちに

ロンドンの情報雑誌 “タイムアウト”に

『若者のトレンディースポット!ダルストン!』、

『今、ダルストンが熱い!』

などの記事が現れ始めます。

実際にそこに住んでいる側からしたら、

何を寝ボケたことを言ってやがんだ、

と思っているのも束の間、

つぶれて板張りにされていた小さな店が、

バーやナイトクラブとなって

次々とオープン。

毎晩のように

パーティーに集まる若者たちによって

道は埋め尽くせられ始めます。

ぼくらも、

おぉ〜、ええところに移ってきたなぁ、

ってな感じで出歩いている間に

昼間の景色も

次第に移り変わっていくことに。

古い店は立ち退き始め、

道路はきれいに整備され、

背の高いビルが立ち、

駅ができ、

チェーン店が現れ、

家賃は上昇、、、

まさにデジャヴです。

結婚して子供が生まれたのを機に、

さらに少し北のクラプトンに

逃げ移っていくことになります。

そして翌年2012年、

ロンドンは東ロンドンのストラトフォード

(Stratford /クラプトンから自転車で

東南に20分ほど) を拠点として、

オリンピックを開催します。

ここまできたところで、

やっといろんなことが繋がってきました。

つまり僕たちは、

イーストロンドン都市開発の

真っ只中にいたんだということです。

ロンドンは基本的に

イギリスの中央銀行がある

シティーを中心として

西側のウエストエンドと、

東側のイーストエンド

に区分されるわけですが、

オックスフォードストリートや

ハイドパーク、

トラファルガースクゥエアや

バッキンガム宮殿など、

観光スポットもたくさんある

華やかな西側とは対照的に、

東ロンドンは元々工場や倉庫などが立ち並ぶ貧民エリア。

1980年代初頭、

保守党から『鉄の女』のあだ名を持つ

サッチャーさん (Margaret Thatcher)

が首相に就くと、

イーストロンドンの

テムズ川周辺の衰退した工業地エリア、

”ドックランズ” Docklands

(ちょうど川が蛇のようにくねっている辺りですね) 

の開発に取り掛かりますが、

86年にロンドンの自治体としての機能

Greater London Council

を廃止してしまったため広範囲に及ばず、

“カナリウォーフ” Canary Wharf などの

一部のエリアの開発の成功に

とどまってしまいます。

ところが1997年に

労働党が政権を奪回

(まだまだ記憶に新しいあのトニー ブレア/ Tony Blair 首相) すると

Greater London Authority”を設置して、

ロンドンに地方自治体としての機能を復活させます。

そして市長には

元Greater London Councilのリーダーで、

サッチャーさんの敵でもあった、

表情が時々レッドツェッペリンのジミーペイジ似?

のケン リヴィングストン(Ken Livingstone)さんが選ばれます。

この人ですね、

東ロンドンを開発するのに必要な

巨額の投資金を

政府から引き出すために

オリンピックを利用した人は!

まさにやり手市長です。

(オイスターカードを始めたのもこの人です)  

この人の放つビーム光線によって僕らは

最終的にクラプトンに流れ着いたわけですね。

(いやいや、治安良くなって感謝してます!)

月日が経ち、

保守党の単独政権

(2010年からしばらくは自民党との連立政権だった)

になってから5年が経つ今でも語られる

オリンピックレガシーは

簡単にあげると以下の通り。

①  オリンピック会場エリア(今はクィーンエリザベス オリンピックパークと呼ばれている)として使われた大規模な土壌の洗浄。

②  そしてそこに建てられていた選手村の宿泊施設を低所得者向けにマイホーム化。

③ ウェストフィールド ショッピングセンター(ヨーロッパで最大。とにかくでかい!)の建設。

④ これまたデカイ水泳会場(うちの子供達も夏はお世話になってます)。

⑤ そしてオリンピックスタジアムはサッカープレミアムリーグのウエストハム ユナイテッドのホームに。などなど、、、

いやぁ、なにも知らずに

偶然家庭を持って落ち着いたところが、

ラッキーにも同時に開発エリアだったとは。

あとは家賃が、、、ハハハ…

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